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2008年9月25日 (木)

さよなら・・おかあさん。

2008年9月17日午前3時44分。わたしの母が逝きました。担当医のお話や、私たち家族が予想していたのよりもずっと早く。。。9月28日が母の63回目の誕生日。丁度、その頃まではもつと思っていたのに・・・。でも、痛み止めにモルヒネを使ってからの日々は、本当に辛そうで、「なんで、一生懸命、真面目にやってきたおかあさんが、こんな辛い目に遭わなくてはならないの?」「こんなに苦しむなら、早く楽にしてあげて!」と、思う日々でした。そして、亡くなる2日前(ほとんど1日前)の15日に、親族が集まり、弟と来年結婚するお嫁さんが、病室にてウェディングドレスを着て、母にその姿を見せました。すると、寝たきりで、動けず、声も出せず、モルヒネで意識ももうろうとしている母が、ありったけの力を振り絞って、

お嫁さんに「あ・り・が・と・う」と、言ったのです!これが、私が聞いた母のはっきりした最期の言葉となりました。そして、亡くなる数時間前、父にかけた携帯電話の受話器越に、私が「おかあさん!」と言うと、私だと言うことが分かったというように、「あ~あ~」と声を出してくれました。そして、午前3時半に弟から「おかあさの息がもうない・・・」と、電話をもらい、すぐに子供を起こして、準備をして実家に向かったのですが、自宅は芦屋、実家は松阪・・・。その距離の長いこと。着いたら朝の7時でした。私に向けてかけてくれた、母の最期のその声は、とってもやさしく、「元気で、頑張るんだよ」と言ってくれているようで、今でもずっと、そして、これからもずっと、私の中に残るのでしょう。。。

母が逝った夜は、本当に月の綺麗な夜でした。

母がいなくなった朝は、朝焼けの綺麗な朝でした。

2008年9月14日 (日)

おかあさん。

私の母は大学卒業後すぐから54歳まで、小学校の教師をしていました。私には4歳下の弟がいるので、母は、毎日本当に忙しかったと思います。とくに朝の出掛けの時間には、怒り飛ばされたものです。運動会や授業参観は、母の小学校の行事と重なって、ほとんど祖父母と父が来てくれました。それでも、運動会のご飯の時間だけは、何度か駆けつけてくれたこともあったなぁ。。。とにかく、忙しい母でしたが、今、「おかあさん」と、心の中で呼びかけると、やさしい笑顔でわたしを見てくれる様子が目に浮かびます。今、私は母となっていますが、子供に「ねぇ、ねえ、ママ!」と言われてても、「忙しいから、あとで!」「もう、この忙しいのに!」と、いう態度を向けてしまうことも少なくありません。。。家庭をもってみて、「いったい、どうやって、やりくりしていたのだらう???」と、びっくりすると共に、すごい母だと思います。でも・・・、きっと、すごく無理をしてたんだろうな・・・。こんなことになるなんて。。おかあさん、ありがとう。

2008年9月13日 (土)

あれから1年・・・。

約1年ぶりの更新になります。前回の記事は、奈良県秋篠での2台ピアノの演奏会のこと。この時のラ・ヴァルスは、なかなか良い演奏が出来て、その時のおかげで、今年も来年も、2台の演奏の機会をたくさん頂いてます。よかったよかった。でも、順調なことばかりではなく・・・、最近は、私の母の病気のことで、突然、大変なことになっています。約2ヶ月前に知った母の病状。それは、悪性の膵臓ガン。膵臓ってどこ?何してるとこ?あんなに元気なのに?余命半年と言われ、どうせ死ぬなら化学療法はしません!と言う母。あれから2ヶ月。誰の目にも、そう長くはないと見える様子。どうしてこんなことに・・・。あれから1年。。。あの時も奈良まで聴きに来てくれた母。今、こんなことになるなんて。。

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